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ウズベキスタン特集

■ウズベキスタンはここ!

政体= 共和制言語= 公用語はウズベク語
住民= ウズベク人(80%)、ロシア人(5.5%)、タジク人(5.0%)、カザフ人(3.0%)(2009年 CIA The World Factbook)
宗教= 主としてイスラム教スンニ派
面積= 44万7,400平方キロメートル(日本の約1.2倍)
人口= 2,780万人(2008年:国連人口基金)
■イスラム世界の宝石と称えられる青の都 サマルカンド

ウズベキスタンの古都。抜けるような青い空に深い色合いの青のドームが映える様子から、青の都、イスラム世界の宝石、東方の真珠と称えられ、常にシルクロードの中心都市としての道を歩んできた。世界制覇を夢見て東征したかのアレクサンダー大王も、その文明の高さを絶賛したという。13世紀、チンギス・ハーンの攻撃を受けて、一時は廃墟と化してしまったが、14~15世紀にはティムール帝国の首都として再び繁栄を誇る。「チンギス・ハーンは破壊し、ティムールは建設した」といわれるように、彼は帝国各地から連れ帰った職人や建築家を使い、サマルカンドをイスラム世界に名立たる都市に復興した。彼が手掛けた壮大な建築群は、それから600年を経た今も、圧倒的な迫力で多くの旅人の目を釘付けにしている。
・レギスタン広場

レギスタンとは砂地を意味し、イスラム時代以降サマルカンドの商業の中心。公共の場としての機能も果たし、謁見式や閲兵、罪人の処刑なども行われていた。向かって左手にはティムームの孫ウルグベクによって建てられたウルグベク・メドレセ、右手には偶像崇拝を禁止するイスラム教において、禁忌である動物と人間の顔が描かれたシェルドル・メドレセ、正面には内部に金の装飾が施されたティラカリ・メドレセと、3つの神学校が建つ。
・グリ・アミール廟
グリ・アミールとはタジク語で“支配者の墓”を意味し、ティムールをはじめ、彼の一族が眠る霊廟。サマルカンドでも一際その青さが引き立つ壮大な建築物である。もともとはティムールが、トルコ遠征で戦死した彼の孫ムハンマド・スルタンを偲んで1404年に建てたものだが、その1年後、中国遠征で急死したティムール自身もここに葬られたという。黄金がふんだんに使用された内装も必見。
・ビビハニム・モスク
1399年、インド遠征から戻ったティムールによって建設が始められた中央アジア最大規模のモスク。帝国各地から集められた200人の職人、500人以上の労働者、そして95頭の象が従事し、1404年に異例の速さで完成したという。しかしながらずさんな工事と巨大すぎたその構造が問題で完成直後から崩壊が進み、19世紀末の地震で廃墟と化してしまった。現在は修復され、サッカー場がすっぽり入ってしまうほどの敷地に鮮やかな青いドームなどが復元されている。
・シャーヒズィンダ廟群
アフラシャブの丘の南麓にあるサマルカンド随一の聖地。11世紀からのティムールゆかり人々の霊廟がほぼ一直線に建ち並ぶ「死者の通り」で、今も巡礼に訪れる人々が絶えない場所。そのタイル装飾の多様さ、美しさで中央アジアでも指折りの名所といわれている。入口の門をくぐると、すぐ先に天国の階段と呼ばれる階段がある。この階段の数を数えながら上り、その数が行きも帰りも同じであれば天国に行けるという。
・ウルグベク天文台跡
ティムールの孫で学者としても活躍したウルグベクが天体観測を行っていた天文台の跡。彼の死後、保守的なイスラム教徒によって破壊され、現在は丸い天文台の基礎と六分儀と呼ばれる観測道具の一部のみが残っている。ここでの観察をもとに、ウルグベクは1年間を365日6時間10分8秒と推測した。これは今日の観測で計られたものと比べても誤差1分程度の正確さだったという。
・シヤブ・バザール
ビビハニム・モスクの隣にあるサマルカンドの台所。野菜や果物、香辛料をはじめ、様々な食料品や日用品が売られている。なかでもナンは大変有名で、ティムールの時代から「ナンはサマルカンド」と言われていたほど。その種類も様々で焼きたてのナンは付け合わせがなくてもそれだけでおいしい。
・アフラシャブの丘
モンゴルによって徹底的に破壊される以前、何世紀もの間サマルカンドの街があった場所。アフラシャブの名は伝説の最初の王ソグド王からとられたもので、当時のサマルカンドは道が舗装され、水道が各家庭に延び、緑にあふれた大変美しい都市だったという。現在は見渡す限り茫漠たる丘が続くのみ。
・サマルカンド歴史博物館
アフラシャブの丘の麓にある博物館。アレクサンダー大王時代のコインをはじめ、ゾロアスター教の祭壇や偶像など、丘からの出土品が数多く展示されている。なかでも最大の目玉は7世紀の領主の宮殿から発見されたフレスコ壁画。玉座の間を飾っていたこの壁画には、当時の華やかな貴族たちの姿が描かれている。
●世界の支配者ティムールの生まれ故郷 シャフリサブス

サマルカンドの南約80kmに位置するソグディアナの古都。古くから「ケシュ」の名で知られ、7世紀には玄奘もインドへの途上に立ち寄った記録が残されている。14世紀に中央アジアを支配したティムールの生まれ故郷として有名。広大な帝国を築いた後もこの地を忘れず、サマルカンドにも引けを取らない壮大な建築群を次々と建設した。シャフリサブスとは緑の町を意味し。当時のオアシス都市としての豊かさを物語っている。現在、この町には昔日の華やかさは残っていないが、その静かな佇まいに深い歴史を感じることができる。
・アク・サライ宮殿跡
1380年に着工され、ティムールの死後1405年まで建設が続けられた建造物。おそらく彼が残した最も壮大な建造物であると言われている。アク・サライとは“白い宮殿”という意味だが、実際は青と金色のタイルで装飾された宮殿。現在は入口アーチの残骸だけが残っているが、当時はこのアーチから南に大理石が敷き詰められた中庭が広がり、宮殿屋上にはプールもあったと伝えられる。
・ドルッティロヴァット建築群
瞑想の家と呼ばれるティムールゆかりの建築群。中庭に入ると、右側に青いドームのコク・グンバス・モスク、それに向き合って2つの廟が並んでいる。通りからも輝いて見えるこのモスクは1436年、ウルグベクによって建てられた。また、2つの廟のうち右側はウルグベクが自分の子孫のために建てたもので、左側はティムールが1374年に父のために立てたもの。
・ドルッサオダット建築群
ドルッサオダットとは大いなる力の座という意味で、かつては広大な建築群があった場所。現在は、ティムールが22歳の若さで戦死した長男のために建設したジャハンギール廟のみが建つ。また、ここにはティムールの廟といわれる墓室も残されている。ティムール自身が死後この地に葬られることを望んで用意したものだが、実際にはサマルカンドに葬られることになったという。
※写真はイメージ
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